又吉直樹のルーツ!家族史をNHKが探る! [芸能]
又吉直樹さんの家族史をNHKが追いかけました。
※http://ord.yahoo.co.jp/o/image/SIG=12grpm97v/EXP=1438651140;_ylc=X3IDMgRmc3QDMARpZHgDMARvaWQDQU5kOUdjU3dEbmVEX0Q3TnlZTTBiMFZXYlNXOEQ4VDR3X1ozY1ZGTTExSDV3dUJXZzFidGNhbVFfOXB5Zk5FZQRwAzVZLkk1WkNKNTV1MDVxaTVJRTVJU3ctLQRwb3MDMTQEc2VjA3NodwRzbGsDcnI-/**http://info.tvsideview.sony.net/ja_jp/2015/07/post-9d6f-2.html
先日、芥川賞を受賞した又吉直樹さんですが、
7日発売の「文学界」(9月号、文芸春秋社)に新作エッセーが掲載され、
発売前にもかかわらず増刷が決定したそうです。
お笑い界のスーパー文士の勢いはまだまだ続きそうですね^^
そんな又吉さんの家族を追った番組が7月にありました。(2013年の再放送)
現在、大旋風を巻き起こしている又吉さんにNHKが乗っかった形の再放送でしょうね(笑)
まあそれはいいとして、内容はお祖父さんの生き様を辿り、
芸人又吉さんの原点を探る。そんな内容です。
祖父の又吉宝善さんは又吉さんが一歳の時に当時の話をほとんどせずに亡くなりました。
それ故にハワイで何をしていたのかなど家族にとって、ずっと謎だったそうです。
お祖父さんも同じように謎多き方だったようで、
見た目は名優ジャンギャバンに似ているそうですよ^^
そんなお祖父さんの足跡を辿って沖縄やハワイを取材していきます。
1907年(明治40年)に沖縄で生まれた宝善さん、
お父様がハワイに出稼ぎに行った一年後に宝善さん(16歳)もハワイへ渡りサトウキビプランテーションで働きます。
その後、過酷なプランテーションの職を飛び出し、
お兄さんのホノルルのレストランで英語を学びながら働きます。
そしてマウイ島にある有名なパン屋ナシワベーカリーで住み込みで働きました。
ここではパン屋で働く宝善さんの写真も見つかっています。
家族の誰も見たことのなかった若かりし頃の宝善さんの写真です。
真珠湾攻撃の半年前に17年間過ごしたハワイから33歳にして故郷の沖縄県汀間に帰ります。
何か運命を感じますよね。
結婚したのは戻ってから2年後で、奥様の千代さんはご近所で13歳年下だそうです。
宝善さん35歳、奥様22歳、当時としては遅い方でしょうか。
宝善さん37歳の時に長男の宝定さんが生まれますが、3か月後に召集を受けてしまいます。(1945年3月)
戦地の沖縄・伊江島では島の地下壕にて米軍の攻撃に備えますが、圧倒的な戦力差で追い詰められる事に。
当時は同じような状況下で沢山の方々が自決に追い込まれる悲劇があったと聞きますよね。
宝善さんの地下壕には15人が潜んでいましたが、米軍に何かを叫ばれた時、英語を理解する宝善さんが投降の呼びかけだとわかった事で全員を投降させる事ができました。
宝善さんのおかげで助かった方々は後々まで感謝していたそうです。
しかし残念なことに、戦後、家に戻ると長男は終戦間際にに亡くなっていました...
当時の沖縄は英語が出来る宝善さんにとって好条件の仕事があり、基地の料理人として働くことに。
そして1年後に長女の初美さんが誕生したのを機に英語を捨てて、農業を選んだのです。
農業であれば家族との時間が長く取れるから..
当時、農作業を助けてくれた人達の名前が宝善さんの手帳に残されていました。
感謝を忘れない。そんな人だったのだと思います。
今も汀間の人々の心には宝善さんの記憶が強く残されています。
又吉さんはそんな祖父の壮絶な過去を知って、
「生きていてくれてよかった...」
と呟いたそうです。
そして実は又吉さんは一度だけ宝善さんに会った事があるようです。
病に伏せていた宝善さんが長男(孫)が誕生したと大喜びしていたのです。
宝善さんはその4か月後に亡くなったそうです。
そんな立派で素敵なお祖父さんを持った又吉さん、
これからのご活躍を楽しみにしています。
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※http://ord.yahoo.co.jp/o/image/SIG=12grpm97v/EXP=1438651140;_ylc=X3IDMgRmc3QDMARpZHgDMARvaWQDQU5kOUdjU3dEbmVEX0Q3TnlZTTBiMFZXYlNXOEQ4VDR3X1ozY1ZGTTExSDV3dUJXZzFidGNhbVFfOXB5Zk5FZQRwAzVZLkk1WkNKNTV1MDVxaTVJRTVJU3ctLQRwb3MDMTQEc2VjA3NodwRzbGsDcnI-/**http://info.tvsideview.sony.net/ja_jp/2015/07/post-9d6f-2.html
先日、芥川賞を受賞した又吉直樹さんですが、
7日発売の「文学界」(9月号、文芸春秋社)に新作エッセーが掲載され、
発売前にもかかわらず増刷が決定したそうです。
お笑い界のスーパー文士の勢いはまだまだ続きそうですね^^
そんな又吉さんの家族を追った番組が7月にありました。(2013年の再放送)
現在、大旋風を巻き起こしている又吉さんにNHKが乗っかった形の再放送でしょうね(笑)
まあそれはいいとして、内容はお祖父さんの生き様を辿り、
芸人又吉さんの原点を探る。そんな内容です。
祖父の又吉宝善さんは又吉さんが一歳の時に当時の話をほとんどせずに亡くなりました。
それ故にハワイで何をしていたのかなど家族にとって、ずっと謎だったそうです。
お祖父さんも同じように謎多き方だったようで、
見た目は名優ジャンギャバンに似ているそうですよ^^
そんなお祖父さんの足跡を辿って沖縄やハワイを取材していきます。
1907年(明治40年)に沖縄で生まれた宝善さん、
お父様がハワイに出稼ぎに行った一年後に宝善さん(16歳)もハワイへ渡りサトウキビプランテーションで働きます。
その後、過酷なプランテーションの職を飛び出し、
お兄さんのホノルルのレストランで英語を学びながら働きます。
そしてマウイ島にある有名なパン屋ナシワベーカリーで住み込みで働きました。
ここではパン屋で働く宝善さんの写真も見つかっています。
家族の誰も見たことのなかった若かりし頃の宝善さんの写真です。
真珠湾攻撃の半年前に17年間過ごしたハワイから33歳にして故郷の沖縄県汀間に帰ります。
何か運命を感じますよね。
結婚したのは戻ってから2年後で、奥様の千代さんはご近所で13歳年下だそうです。
宝善さん35歳、奥様22歳、当時としては遅い方でしょうか。
宝善さん37歳の時に長男の宝定さんが生まれますが、3か月後に召集を受けてしまいます。(1945年3月)
戦地の沖縄・伊江島では島の地下壕にて米軍の攻撃に備えますが、圧倒的な戦力差で追い詰められる事に。
当時は同じような状況下で沢山の方々が自決に追い込まれる悲劇があったと聞きますよね。
宝善さんの地下壕には15人が潜んでいましたが、米軍に何かを叫ばれた時、英語を理解する宝善さんが投降の呼びかけだとわかった事で全員を投降させる事ができました。
宝善さんのおかげで助かった方々は後々まで感謝していたそうです。
しかし残念なことに、戦後、家に戻ると長男は終戦間際にに亡くなっていました...
当時の沖縄は英語が出来る宝善さんにとって好条件の仕事があり、基地の料理人として働くことに。
そして1年後に長女の初美さんが誕生したのを機に英語を捨てて、農業を選んだのです。
農業であれば家族との時間が長く取れるから..
当時、農作業を助けてくれた人達の名前が宝善さんの手帳に残されていました。
感謝を忘れない。そんな人だったのだと思います。
今も汀間の人々の心には宝善さんの記憶が強く残されています。
又吉さんはそんな祖父の壮絶な過去を知って、
「生きていてくれてよかった...」
と呟いたそうです。
そして実は又吉さんは一度だけ宝善さんに会った事があるようです。
病に伏せていた宝善さんが長男(孫)が誕生したと大喜びしていたのです。
宝善さんはその4か月後に亡くなったそうです。
そんな立派で素敵なお祖父さんを持った又吉さん、
これからのご活躍を楽しみにしています。
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タグ:又吉直樹 家族
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